紹介状のこと

 とある出来事から数日が経ち、当初のショックやそれに連鎖した落ち込みからようやく回復してきたので、個人的な備忘録として書き留めておくことにした。正直に言ってこれを書いている今でも、(いろいろな意味で)日記として言葉にして記録しておくことを迷っているので、途中でやめたり、後から消したりするかもしれない。

 と、勿体ぶって書き始めたけれど「とある出来事」の全貌はとてもシンプルだ。医者から貰った紹介状を開封した。そこに書いてあったことに、ショックを受けた。おしまい。

 一応、言い訳がある。紹介状は開けてはいけないものだと知らなかったのだ。外側に他人の宛名が書いてあるんだから開けちゃいけないに決まってるやろがい、と思われるかもしれないけれど、これにもまた言い訳がある。

 そもそも、私が今通院している医者に紹介状を書いてもらう必要が生じたのは、地元の北海道に帰るからだった。東京では近所のメンタルクリニックに通院していたけれど、まさか北海道に帰ってからも週に1回飛行機に乗って受診するわけにはいかない。しかし、休職中の身で医者に罹らずふらふらしているわけにもいかないので、かかりつけ医に事情を説明し、紹介状が欲しい、と申し出た。

 1週間ほど待ってくれ、と言われて渡された封筒には、単に「担当医先生」としか書いていなかった。紹介状と言うからには特定のお医者さんを紹介してもらえるのだろうと思っていた私は、1週間のうちにいくつか知り合いだの、同じグループ(?)だののお医者さんを当たってくれたのかしらと考えて、中に病院のリストでもあるに違いない、と、軽率に封を開けてしまったのだ。

 今から思えば、常日頃の私らしくない行為だったと思う。いつも覗き込んでいる小さな箱はただのゲーム機ではないだろうに。そこはggりなさいよ私。だいいち、休職するため職場に診断書を持っていく時だって、事前に開封して大丈夫なのか念入りに調べたのだ。今から思えば、その時「大丈夫」という結論が出たから今回軽率な行動をとってしまったのかもしれないけれど。

 まあ、言い訳はこの辺にしておいて、とにかく封を開けて中を見た。それで、それなりのショックを受けた。

 そもそも、私は「紹介状」というのは、単に繋がりのあるお医者さん同士で「うちの患者さんがこういう事情で行くからよろしくね」という挨拶程度に使うものだと思っていた。詳しいことは、病院同士でカルテの取寄をしたりとかなんとかするんだろうなあ、くらいのぼんやりとしたイメージしかなかったのだ。

 それが、思ったよりもかなり詳しく、お医者さんから見た「私」の現状について書かれていた。そうして、その詳細が、私が想像していた内容と、180度……とまではいかないけれど、90度くらい違っていたのだ。

 詳細については記載しないが(ワールドワイドに自分の病状を発信するのはなんだかな、という気持ち以上に、事細かに自分の手で文章にしてあげつらっていたら、また憂鬱になりそうなので)、端的に言えば、お医者さんは私の話をあまり信用していないのだ、と読み取れるようなことが、そこに書いてあった。断酒も服薬も、それなりに真面目に実行してきたつもりなのに、「まあ本人はそう言ってますけど、本当かどうかはわからないですね」くらいのテンションで記載されている。どうしても起きられない日があって、予定していた診察日に行けなかったことが何度かあったのだけれど、通院も不定期になりがちだし、あまり治療する気がないのではないか、といった語り口で書かれている。

 もしかすると、これはいわゆる「お医者さん文法」というやつなのかもしれない。24時間365日私を見ているわけではないのだから、当然お医者さんから見た事実は、あくまで「患者はこう言っている」という、それだけだ。だからそういう書き方にならざるを得ないのであって、別にそこにはなんの含みも無いのかもしれない——けれど、書かれていた文章は、一瞥して衝撃を受けるには十分だった。

 他にも、私が以前もメンタルクリニックに罹っていたことがあることを指して「もしかすると内因性のうつだったり、パーソナリティの問題かもね」みたいなことも書かれていて、また衝撃を受けた。こちらについては、どちらかというと「当時罹っていたときには割と特殊な事情があって、そのときのことは軽くしか話していないのになあ」という感想の方が大きかったのだけれど。

 ついでに、私の家庭事情について、父と母が全く逆に書かれていて、少しだけ笑ってしまった。もしかしたら私の話をちゃんと聞いていなかっただけなのかもしれないけれど、まあ上述した諸々を見て、それなりに信用していたお医者さんが、私のことをそんな風に見ていたのか……と、ショックを受けたのである。

 人から、自分に対する率直な感想を聞く機会はまず無い。そこに人間関係がある以上、周囲の人々はどうしたって遠慮するし、気を遣う。仮に私に致命的に悪いところがあったとして、別に赤の他人なんだし、わざわざ嫌われるリスクを冒してまでそれを指摘してあげよう、と思ってくれる人はなかなかいない。

 ……もしかして、私の周りのみんな、口にしないだけでこういう風に思っていたんじゃないか。お医者さんは仕事だから我慢していたけれど、本当は私が受診するたび「こいつ本当なんなんだよ、治す気も無いし、ただ甘えてるだけか?」とイライラしていたのではないか。そう思い始めると、東京に戻った時、普通の顔でまたあの病院に通えるか、少しだけ自信がなくなってしまったのだ。

 開封した紹介状は、今私の手の中で持て余している。開封した後に調べて(遅いのはわかっている)本来開けてはいけないものを開けてしまったのだとわかったわけだし、そもそも特定の宛名が書いていないので、自分でいちからクリニックを探すことになる。私の地元は超ド田舎というわけではないけれど、電話1本で数日後にサクッと予約がとれるような病院を探すのは、なかなか骨が折れる(事実、何軒か電話してみたけれど、みんな予約が取れるのが2週間以上先、と言われてしまった)。どのみち東京に帰るまでのつなぎのような形での受診になるのだから、じゃあ来月来てください、と言われても困ってしまう。

 そういう理由で、この封の開いてしまった紹介状をどうしようか悩んでいる。

 東京のお医者さんから貰った薬の残りは数日分。これが切れたら眠れなくなってしまう。しかし当然、新たなお医者さんに罹る目処もついていない。さっさと東京に帰ってしまおうか。それがいい、と思うのだけれど(これは他にもいろいろと理由がある)、私を心配して手元に置きたがっている親に、それをなかなか切り出せない。

 こうして改めて文字に書き起こしていると、やっぱり憂鬱になってくる。唯一の進歩といえば、友人や職場に無事連絡をとれたことくらいか。友人との約束も職場からの連絡も、私が覚悟していたような状況にはなっていなかった。不幸中の幸いというかなんというか。

 残り少ない錠剤を甘いジュースで流し込みながら、このエントリを書き終えます。