「まぜて」と言えたあの頃のこと

 休職して暇なので、今まで以上にゲームやチャットに精を出している。

 自分で探すようになって気がついたのだけれど、世の中には、案外人との繋がりに飢えている人が沢山いる。Twitterでは多くの人が「#hogehogeさんと繋がりたい」というタグを使って仲間を探しているし、掲示板を見に行けば、毎日のように誰かがLINEのIDを交換してくれる相手を募っている。今どきPC専用サイトのチャットルームなんて誰が使うんだろうと不思議になるくらいなのに、チャットルーム一覧を見ると、必ずどこかひとつには入室者がいる。みんな寂しいんだなあ、と思う。

 思えば、毎日のように見知らぬ誰かと会話をするというのは久しぶりだ。小学生の頃、インターネットの面白さに目覚めて手当たり次第に友達を作っていたあの頃以来ではないだろうか。当時はチャット文化の全盛期で、猫も杓子も、「○○のお部屋」みたいな素朴な個人サイトもチャット機能をつけていた。勿論大規模なサービスも豊富にあった。私のお気に入りはYahoo!チャットやもなちゃと、綺麗なドット絵の世界で自分の部屋を飾りつつお喋りを楽しめるhabboホテルあたりだっただろうか。以前記事を書いたリヴリーも、そういえば可愛い見た目で楽しめるチャットとして優秀だった。

 

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 今ではすっかり、人との交流の場はTwitterに限られている。それも新しく友人を作りに行くということは滅多になく、大抵は同人活動をするうちに自然と作品をよく見かけるようになってフォローし合った人だとか、その人の友だちだとかになってくる。

 Twitterから始まる交流は、非常に段階的でゆったりとしている。

 まず、相手のプロフィールを見てフォローを送り「あなたに興味があります」と示す。相手がフォローを返してくれたら両思いだ。丁寧な人は、この時点で挨拶をくれたりする。私はもっと緩くTwitterを使っているので、相互フォロー時点では特に何もしない。挨拶をされたら、挨拶を返す程度だ。

 次に、タイムラインに流れてくるつぶやきで相手の情報を知る。興味のあるものやこと、文字通り「今何してる?」か、その人の主義主張、エトセトラ。それは単なる「呟き」なので、こちらは反応してもしなくてもいい。向こうも、特定の誰かに語りかけるつもりでは喋っていない。ただ、興味がある話題、自分にも語れそうな話題が「流れて」きた時に反応を示せばよい。既に話題は固定されているので、話すに困るようなことはない。お互いに惹かれ合えばそのまま仲良くなれるし、ちょっと話して「噛み合わないな」と思っても、どうせお互いの「つぶやき」の延長線上なのだから無理をして会話を続ける必要もない。とても気楽なコミュニケーションツールだ。

 SNSに疎いひとから「Twitterの何がいいの?」と聞かれた時、だから私は、上述したようなことを喋って「要するに『緩く誰かと繋がっていられる』という魅力があるんですよ」という言葉で〆る。Twitterは、相手に初めから密な関係を強要しない。大人数でわちゃわちゃしている間にいつの間にか仲の良い相手ができている。大学のサークルか何かで、活動に参加したりメンバーと遊びに行ったりするうち、馬の合う相手ができて親友や恋人になる……というイメージだ。

 けれど、いわゆる「野良の」チャットや、掲示板の「友達募集」は違う。話題も提示されていなければ相手のプロフィールもわからない状態で、いきなり「おしゃべり」が始まる。ゲーム内チャットなら「このゲームのこと」という大前提の共通言語があるからまだいいけれど、本当に只の「たのしいチャットルーム」みたいな場だと悲惨だ。だって、何から話せばいいか分からない。相手が何が好きで何が嫌いか、どんなことに興味があるかわからないのだ。Twitterが大学のサークルなら、こちらは最早お見合いでだ。友達募集なら最低限度のプロフィールくらいはあるじゃん、と思うかも知れないが、これもあってないようなものである。

 たとえば「映画好きです」と自称している人が「金曜ロードショーは毎週見てるよ」なのか「ミニシアターの年パスを所持していて新作の上映には必ず足を運ぶ」のか、それとも「ヒーロー映画の大ファンで、原作のコミックも読んでいる」のかわからない。それに反応する方も同じで、映画好きと聞いて『揺れる人魚』の話題を引っ提げていったら、向こうは『アベンジャーズ』が人類の基礎教養だと思っていた、みたいな事故が、全然起きうる。

 Twitterならそうはならない。プロフィールに「映画好き」としか記載していなくても、タイムラインを見れば、その人のつぶやきで「フランス映画好きだな」とか「西部劇ファンだな」とか「さてはゾンビ映画しか観てないな」とか推し量ることができる。その人のつぶやきに興味があれば、こちらに提供できる話題が無くても一方的に見守っていればいいし、興味がなければそっとフォローを外してしいまえばいい。

 けれど、チャットではそれができない。唐突に、お題すら存在しない状態で開始されるコミュニケーション。場に複数人いる時は気が楽な方で、これが一対一になると、響く話題を探してお互いに浅く広く、当たり障りのない世間話ばかりをすることになる。

 そういう七面倒臭いことを回避するにはざっくばらんに相手の興味のある対象について聞いてしまった方が楽だが、「何が好きですか?」なんてざっくりとした聞き方をしては困惑させるばかりだ。

 勿論、奇跡的に噛み合いがよく、初対面なのに数時間後には数年前からの友人同士のように話せていることもある。けれど、大抵の場合はお互いに腹の中を探り合ううちに終わってしまう、悲しい「お見合い」だ。

 そういうことを考えるにつけ、誰にでも気軽に「まぜて」と言えていたあの頃は何だったのだろう、と思い出す。初めて入ったチャットルームで、チャットの常連さんたちが仲良さそうに会話をしていても、臆することなく「こんにちはー」と入っていけた。会話の引き出しは今のほうが多いはずなのに、少ない引き出しを上手く使って、人との距離をさっと縮めていた。確かに深い関係になることは珍しかったけれど、たとえば、他の常連さんたちが一人二人と「落ちて」行っても、残った人に「じゃあ私も……」と言われず、そのまま喋っていられるような気安さがあった。

 相手の素性も、年齢も性別も一切知らないままに「まぜて」と言うことのできたあの頃の私は、今と何が違ったのだろう。十余年で、一体何が変わったのだろう。

 もしかするとこれが「歳をとる」ということなのだろうかと思いつつ、いつか十年前のように「まぜて」と言える日を夢見て、今日も小さなチャットルームで「はじめまして」を繰り返している。