カウンセリングのこと

 先日主治医のところへ通院したら(内容はいつもの経過報告と、復職しました、という改めての挨拶だ)カウンセリングを勧められた。カウンセラーと2人で小奇麗だけれど決して圧迫感のない個室に入り、あれこれと取り留めのないことを話す、あれだ。

 人生のうちで、いわゆる「カウンセリング」を行う機会はあったけれど、どれも思ったような効果は得られなくてすぐにやめてしまった(まあ、そもそもカウンセリングに対して劇的な効果を望むことのほうが間違っているのかもしれないけれど)。

 理由はいくつかある。第一に、私は人前で話すのが苦手だ——というと付き合いのある友人からは大層驚かれるのだけれど、本当に苦手なのだ。

 議題が決まっている場合はまだ良い。「こういった人権問題についてあなたはどう思いますか?」とか「5分程度で自己紹介をするスライドの資料を作ってください」とかいう場合は、それはもう自信たっぷりに、はきはき話せる。こういう場での話術はそれなりにある方だと自分でも思っているし、小さな頃から「夜子さんはみんなの前で自分の意見をはっきり言えて偉いわねえ」と言われてきた。

 でも、小さな個室で「あなたの考えをなんでも受け入れますよ」というスタンスの人と一対一で、人権問題についての質問でも、その場の空気を盛り上げてツカミを良くするための自己紹介でもなく「あなた自身の気持ちについて、正直にお話してみてください」と言われると、突然言葉が詰まってしまう。「苦しかったですか?」とか「辛いですか?」と聞かれると、更に返答に困る。辛くて苦しい、のかもしれない。けれどそれを声に出して誰かに訴えることが恥ずかしすぎて、涙が出そうになって、これ以上口を開いて醜態を晒すまいと必死で口を閉じているうちにまた頭の中がぐるぐるして泣きそうになる。結果として相手の質問には思うように答えられず、黙って目をうるませているだけの時間が過ぎていき、それが申し訳なくて更に嫌になる。普段の私を知っている相手だったらびっくりするような「内気で自信がない」私になってしまう。

 もうひとつ、私がカウンセリングが苦手な理由が、そうして意を決して口にした「○○で苦しかったんです」とか「××で辛いんです」という言葉を、カウンセラーにオウム返しにされてしまうことだ。「なるほど、○○で苦しかったんですね」「××で辛いんですね」……そんなことはとうの昔からわかっているのだ。悩みに悩んで、人様の前に出しても恥ずかしくないくらいに細部の気持ち悪いところを削ぎ落として、それでようやく吐き出した「辛いんです」に、事実確認のような言葉が返ってくる。多分それがカウンセリングの鉄則なのだろうけれど、私にはあまり合わなかったみたいだ。

 これらのことが嫌になって、結局私はカウンセリングを途中でやめてしまうことが多かった。対面が難しいなら文章で…と思ってメールサービスに登録したこともあるけれど、メールでのカウンセリングは対面より更に「オウム返し感」がわかりやすい。私の書いた文章をそのままコピペして「〜ということですね」と返しているんじゃないかと思うことすらあって、結局辟易してやめてしまった。

 多分、カウンセラーの人がひとつひとつ相手の言葉をオウム返しにして確認してくるのには、私のような素人には理解できない、大切な意味があるのだと思う。

 私が「自分自身の辛さや感情を、人に面と向かって話すのがつらい」というのは完全に私側の問題だし、もう一度、思い切って受けてみるのもありかもしれない……と、薄々思い始めた。次の通院は2週間後。思い切ってカウンセリングを受けてみるのもありかもしれない、と考え始めた今日このごろ。