死を決断するまでのこと

 色々あって死ぬことにした、と書いた。前回のエントリでは自殺までの間に本ブログをどうやって続けていくか、ということにしか触れていなかったので、今回は自分の中の整理も兼ねて「どうして死ぬことにしたのか」という、その経緯を書いておきたい。

 そもそも「死にたい」という欲求は、物心ついた時からすでにあった。最初の頃は、それは漠然とした現実逃避の手段として、あるいは物語に出てくるキャラクターの「理想的なエンディング」への憧れとして抱いていた感情だと思う。どれだけ辛いことが沢山あっても、死ねば報われる。死ねばみんなが悲しんでくれて、今まで自分がしでかした悪いことも、怒られたことも、全部チャラになる。そんな気持ちだった。

 ある程度大きくなると「死にたい」という気持ちはより現実的なイメージを伴って脳内にこびりつくようになった。その時も相変わらず死はあくまで現実逃避の手段だったけれど、具体的にどうやって死ぬか、いつ死ぬか、そういうことを考えるようになった。実行しようとして遺書を書いたこともある。まあ、結局実行できなかったから今ここで遺書じみたブログを書いているんですけど。

 そういう人生だったので、なにも「自殺」という手段がぽっと降って湧いてきたわけではない。物心ついた時からずうっと横にあり、何度か振り返ってはみたものの手は伸ばさずにいて、それがようやく「よし、やるか」と腹をくくる気になった、という、それだけの話だ。

 では、私に腹をくくらせた(あるいは腹をくくらせてくれた)直接的な原因はなにか、と考えると、やっぱり社会に出て、一度は休職して、また復職して……という、直近の一連の流れが大きかったように思う。

 別に、復職しても尚辛い思いをしているわけではない。むしろその逆だ。会社の人たちはみんな優しくて、どうしても休みがちになってしまう私に「業務よりもまずは体調を整えることを最優先にね」と声をかけてくれるし、私が突発的に休んでしまっても大丈夫なように、予め余裕を持ってスケジュールを組んでくれたりしている。業務の内容も、本来であれば私が「やりたい」と思っていたような分野で、決して無理な仕事量を渡されているわけでもない。

 本当に、理想的で「楽しい」職場だ。今職場で大変な思いをしている人たちからすれば「何を甘えたことを言っているんだ」と怒られてしまうような、とても幸せな状況だと思う。

 そんな、考えうる限り最高の労働環境に置かれているのに、どうしても会社に行くことができない。朝起き上がることが難しいし、会社で人と会って会話するたびに、緊張で胃の上のほうがしくしく痛む。

 以前、かかりつけのメンタルクリニックで、お医者さんに「もしかするとあなたのそれは、うつではなくてもっと根本的な問題があるのかもしれませんね」と言われたことがある。実際、書いてもらった紹介状にもそう書かれていた。

yorunonikki.hatenablog.jp

  これだけ良好な職場環境で、体調に気を遣ってもらって、自分のペースで働かせてもらっているのに、根っこのところにある「つらさ」が消えない。むしろそのつらさが消えてくれないことが更なるつらさを生んで、雪だるま式にどんどん気持ちが落ち込んでいく。

 きっと私のこれは、かなり贅沢な悩みなのだと思う。世の中にはセクハラやパワハラを受けながら、もっと辛い就労環境の中で、それでも頑張っている人たちが沢山いるのだから。

 それが良いことだとは思わない。つらいなら逃げても良いと思うし、つらいなか頑張ることが正義だとは微塵も考えていない。けれど、やっぱりそういう人たちと比べると、私はぬるま湯に浸かりながら「あつい、のぼせた、むり」とぐちぐち呟いている、とても贅沢な人間なのだと思えてくる。

 きっと、今この環境ですら耐えられない私は、どこに行っても無駄だ。どれだけ周囲が優しくしてくれても「好きな仕事」「楽な仕事」が得られても、今と同じつらさを抱えながら生き続けるのだと思う。かかりつけ医に言われたように、私の今の状況が「うつだから」ではなく「もっと根本的なところの原因」によるものだとしたら、それはきっと、私のパーソナリティそれ自体だからだ。

 そして、この「つらさ」を抱えたまま、あと何年も連綿と続いていく社会人生活を耐えきる力は、きっと私にはない。

 人生は、基本的には辛いことや苦しいことの連続だ。娯楽や「幸せな瞬間」というのはそれらの痛みをほんの少しだけ軽くするための対処療法のようなもので、人生という長い道から茨を取り去ってはくれない。

 今までも人生は辛かったし、これからも人生は辛い。一瞬それが和らぐこともあったけれど、根本的なつらさは変わらないままだ。足し引きマイナスになり続けることが既にわかっているゲームを、これ以上続ける気力がない。

 

 大まかにまとめると、だいたいそんな感じだ。とりあえず今は「死ぬまでにやっておかなければならないことリスト」を作って纏めているのだけれど、意外と大した量がなくて驚いてしまった。私は、自分で思っていたよりも随分身軽な人生を生きてきたみたいだ。これも、完成したら覚書としてブログに上げておきたいなと思っている。