締切のこと

 締切が、刻一刻と近づいている。なんの締切かというと、趣味で書いている同人小説の入稿締切だ。趣味なんだから別に無理して書く必要も無いのだけれど、休職する前、まだなんとか会社に行っていて「多分このまま頑張れるだろう」と思っていた時期に参加申込みをしてしまい、Twitterのアカウントでも告知を行い、挙句の果てに既に表紙のお願いをしてしまっているので、なんとしても完成させなければならないのだ。

 同人で本を作ったことがない人でも想像がつくと思うけれど、こういうものは、入稿から完成までにかかる日数と値段が反比例する。つまり、さっさと完成させてほしければ高いお金を払ってね、ゆっくりでいいなら割引するよ、というシステムだ。

 自慢じゃないけれど、私はかなり筆が早い(いや本当に何の自慢でもないなこれ)。この手の締切を破って、いわゆる「新刊落としました!」をしたこともなければ、常に早割、つまり「早めに入稿するから割引してね」サービスを使ってきた。書くのが早ければ、そのぶん、同じ期間内で沢山の作品が作れる。内容やクオリティはさておいて、物量やスピードについてはそれなりに自信があった。

 ……のだけれど、休職と時期を同じくして、その筆がずうっと止まっている。文章それ自体が書けないわけではないと思う。なにしろ、こうして毎日ブログを書いているのだ。時間が無いわけでも、勿論ない。なにしろ仕事をしていないのだから。暇人中の暇人である。

 確かに、どうしてもベッドから起き上がれなくて寝たり起きたりを繰り返している時間が1日の半分以上を占めるけれど、残りの半分は起き上がって、それなりに活動しているのだ。それに、そもそも小説はイラストと違って、ベッドの中で寝転がったままでも書ける。ゲームができるのなら、小説も書けるはずだ。物理的には。

 それが、どうにもそうならない。もしかすると私は、仕事だけでなく自分の趣味にも甘えているのかもしれない。あるいは、私と同じ薬を飲んでいる誰かが、匿名掲示板で「この薬を飲むと性欲だけでなく創作意欲もガクッと削がれる」と言っているのを読んで、これ幸いと言い訳にしているのかもしれない。

 同じことは、うつと診断されて、会社を休みがちになった時にも思っていた。そもそも会社に行けていないから病院に行ったのだけれど、でも、そこでうつと診断されていなかったら、私はまた、会社にきちんと復帰できていたのではないだろうか? 病気という免罪符を得てしまったから、甘えが肥大化しているだけなのでは?

 でも、仕事はさておき、文章を書くのは楽しかったはずだ。それとも、本当は大して楽しくなかったのだろうか。仕事や辛いことから逃げるための手段でしかなくて、その必要がなくなったら簡単に捨ててしまえるものだったのだろうか。

 たかが同人、たかが趣味なのだけれど、今日も布団の中で、そんなことを考えている。なお、メールボックスもLINEも、まだ開けていない。

誰ともまともに連絡が取れないこと

 表題の通りだ。実家に帰ることを決める前に「この日飲みに行こうね」と約束していた友達に、さっさと「ごめん、実家に帰るからしばらくは遊べなくなった」と連絡しなければいけない。でも、スマートフォンを手に取っても、なかなかLINEが開けない。一覧画面には、相手からの「スタンプを送信しました」が表示されまま、ずっと未読だ。既読をつけたら返事をしなくてはならない気がして、つけていない(まあ、相手は今更既読がついたところで気が付きはしないだろうけど)。

 休職中なので、時々職場からメールで連絡が来る手はずになっている。わざわざ休職者に送るくらいだから、当然大事な連絡だ。この間、産業医面談に関する連絡に返事をしたから、多分その返答が来ているはずだ。はず、というのは、まだ見ていないからである。夕方くらいに起きて、スマートフォンにどっさり溜まったSNSだのメルマガだのの通知を流し見して、それからもそもそとゲームを始める生活なので、大事な連絡が来ていても見逃してしまうのだ。

 当然、今はアパートにいないので郵便物も受け取れない。電話は、多分掛かってきたところで、寝ていたり、何かの業者じゃないかと警戒したりして、とれないだろう。

 頼みの綱のTwitterも(ぬいぐるみの写真を載せるアカウントではなくて、別の趣味、いわゆる同人で繋がっている友人や、リアルの友人にフォローされているアカウントだ)もうしばらく更新していない。

 何が言いたいかというと、今私は、誰ともまともに連絡を取れていないのだ。友人はきっと前日になって予定をキャンセルされて「地元に帰ってるならもっと早く言ってよ!」と思うだろうし、会社の人事は、もしかしたらとっくに締切を過ぎている提出物が来なくてやきもきしているかもしれない。同人関係で私をフォローしていたフォロワーは「この人引退したのかな」と思っているかもしれない。

 端的に言えば、まったく、ブログを更新している場合ではないのだが、多分私は今日もLINEを開けないし、メールボックスを整理しないし、Twitterのタイムラインも見ないと思う。

 リアルの知り合い、友人の皆さん、すみません。明日にはきっと連絡いたします。今日はどんな一日でしたか。私はほとんど一日寝ていました。今からまた布団に入ります。おやすみなさい。よい夜を。

帰省して1週間経ったこと

 飛行機に乗って地元に帰ってきたのが先週の月曜日のことだから、明日で、帰省してからちょうど1週間が経つ。休職手続き自体は既に3月の頭に済ませたので、休職から数えればおおよそ3週間くらい。最初の2週間を一人暮らしのアパートで過ごし、残りの1週間を地元で過ごしたことになる。

「うつになって地元に帰った」という単語は、なんだか慣用句のようで耳によく馴染む。「ミュージシャンを目指して上京」とか「自分探しに東南アジアへ」と同じようなたぐいの言葉だ。友達の友達とか、遠縁の親戚について簡潔に述べる時に使う、ちょっと困った「あるある」。量産型ではないが、オンデマンド印刷くらいのお手軽さはある現代人のテンプレートのひとつだ。「うつになって地元へ帰った」。勿論、この言葉が指す状況は幅広い。私はまだ離職したわけではないし、その気になれば(というか体調がよくなれば)明日にでも復活できるのだから(多分ね)、厳密にはまだ「帰った」とは言えないだろう。というか、言ったら負けな気がする。だからそう、これはあくまで「帰省」なのだ。

 そんなわけで、帰省して1週間が経った。事情を知っている人には「療養のため」と伝えてあるし、周囲も「地元でゆっくりしてきたらいいよ」と送り出してくれた。地元が横浜やら柏やらならまだしも、なんたって北海道である。社会人になったばかりの一人娘なんて猫可愛がりされているのだろうし、雄大な自然の中でゆったり羽根を伸ばしたらいいじゃない、と。まあ、周囲はそう思うだろう。実際、母親もしきりに電話で(私は母子家庭なので、帰省に関する相談は母親にだけすればよかった)「そのままひとりで家に居たって仕方がないんだし、とりあえず実家に戻ればぼうっとしてても食べ物くらいは出てくるんだから、帰ってきなさい」と言っていた。

 広いお部屋に三食昼寝つき。その辺に服を脱ぎ散らかしても片付けてもらえるし、床に寝転がってもホコリまみれになったりしない。……確かに、それは大変魅力的だ。

 そういう打算的な思考で以って、私は帰省に踏み切った。

 それで、1週間、である。「うつになって地元に帰」って「北海道の田舎で羽を伸ばし」て、さぞや快適な(それこそ、今も残業や土日出社に追われている同僚たちから「甘えるな死ね」と言われるような)療養生活を送っている——かと思いきや、案外、そうでもない。

 何を甘えたことを、と思われるだろう。自分でもそう思う。広いお部屋に三食昼寝つき、甘いお菓子もお盆にどっさり、食べ放題——なのだが、どうにも落ち着かなくて、気が休まらないのだ。所在がない、と言い換えてもいいかもしれない。隅々まで掃除の行き届いた綺麗な田舎の一軒家に、自分の腰を落ち着ける場所が見当たらない。それで「そういえば私が大学から東京に出た理由の一つは、この家からおさらばしたかったからだなあ」と思い出す。

 そこには今は既に連絡を断った父親とのあれこれも存分に絡むのだが、父はさておき、母はいわゆる「毒親」と言われるようなタイプの人間ではない。学歴も良識もあって、そこそこ目下の人間に慕われている、総合的に見て、色んな意味で、日本の六十代の平均よりちょっと上に位置しているようなタイプの人だ。私のことは一人の大人として適切な距離を置いて扱ってくれるが、たった一人の家族として愛してくれてもいる。昔から口癖のように「よりよい親でありたい」と言ってくれていたし、それは口だけではない、彼女の本心だと思う。

 母は、とてもまともで、善良な人間なのだ。

 私はそのことに、十分に感謝するべきだ。決して「まとも」とは言えない家庭環境にあった幼少期を経て成長した私が、きちんと学問を修めて、まあまあ、そこそこの大学へ行き、無事に就職して(まあ休職したけど)、これまで何の問題もなく人生を歩めてきたのは(まあうつになったけど)母のおかげだ。母は私に暴力を振るわないし、友達付き合いを制限したりしないし、「産まなければよかった」なんて口が裂けても言わない。休職の件も、母に明かすことを最後まで渋っていた私が「もうだめだ」となって初めて恐る恐る打ち明けたときにも、怒ったり責めたりしなかった。

 だからこそ、多分、息苦しいのだ。

 史上最強に贅沢で我儘なことを言っている自覚がある。誰に謝ったらいいのかわからないけれど、ごめんなさい。

 家の中は綺麗だ。北海道の田舎にある一軒家は、母子が2人で住むには広すぎて、空き部屋がいくつもある。リビングにはダイニングテーブルが1セットとテレビ、観葉植物と、ぽつんとガラステーブル。以前私が使っていた部屋も綺麗に片付いて、フローリングは自分の顔が映るくらいぴかぴかに磨き上げられている(まあ、がらんとしているのはぬいぐるみの写真を撮るのに好都合なので、それだけはありがたい)。

 そういう空間で、テレビで体に良いと紹介されていた玄米をたっぷり入れたご飯を綺麗なお茶碗に盛りつけられて出されると、やっぱり私は所在をなくしてしまう。家の中がひどく寒々しい。母は何も言わない。そろそろこちらでの通院先を探さなければならないし、いつ頃会社に戻るのか、そうでなくても一人暮らしのアパートに戻るのかも考えなければならないし、本気で療養するのなら朝きちんと起きなければならないし、ご飯を抜いてぼうっと布団の中で蹲っている場合ではないのに、何も言わない。多分、こういう時に急かしてはいけないと、テレビか本で見たのだと思う。とてもありがたい。優しい。でも、その優しさがひりひりする。たっぷりとアルコールを染み込ませた脱脂綿で体中を拭かれているような気持ちになって、いたたまれない。

 そんな贅沢で身の程知らずな不満を抱きながら、帰省して7日目の夜を迎えようとしている。

パワハラのこと

 今の休職とは直接関係は無いのだけれど、2年前の4月、新入社員として入社したての頃にいわゆる「パワハラ」を受けたことがある。初対面で「今日から精一杯がんばります」と言ったら「『頑張る』って何? 新入社員のあなたに何かできると思っているの? 『頑張ります』って、要は『期待してください』ってことよね? 期待されて大丈夫な自信があるの? 無いのならそんなこと気軽に言うのはやめなさい」ときつい口調で言われたのが始まりで、それ以上の詳しいことは書かないけれど、とにかく私の一挙一動に対してそんな感じだった。

 当時は今より更に精神的に参っていて、会社でパソコンに向かっているだけで涙が出てきて、周囲にばれないように慌ててトイレに駆け込んだりしていた。問題があったのは私の「メンター」として割り当てられた直接の上司で、今から思えば、なんというか、相手が目上だからとか仕事上の関係だからとか関係なく、いわゆる「ちょっとやばい」人だったのだと思う。

 ただ、当時の私は「なんだか変な人に当たってしまったなあ。嫌だなあ」と思って我慢するばかりで、誰にも何も相談していなかった。会社に入るまで、私にとっての人間関係というのは「合わなければいつでも距離を取れるもの」だったからだ。どうしても我慢できなくなったら逃げ出せばいい。意地悪なクラスメートにも、サークルのウザい先輩にもそうしてきた。LINEやTwitterをサッとブロックして、現実世界で顔を合わせても「どうも、こんにちは」程度に留める。それでいいやと思っていた。

 けれど、「会社」というコミュニティの中では、それは罷り通らなかった。ましてやその人は私のメンターなのだ。彼女が出会い頭に私に言ったように、私はまだ、会社にとって何の役にも立たないひよっこだ。彼女の隣に座り、彼女から渡される課題や仕事をこなし、至らない点があれば指導を仰がなければならない。「どうも、こんにちは」で逃げ出せる関係ではない。

 それで、どんどんストレスが溜まっていった。幸いにもその時は、見かねた周囲の人たちが更に上司に言ってくれて、私自身も、私が零した愚痴を聞いた友人たちの「それってパワハラだよ」という言葉に押されて会社の人たちに訴え出ることができた。もしあのままずうっと我慢し続けていたら、それこそ本当に、会社に行けなくなってしまっていたんじゃないかと思う。……まあ、どのみち今こうして休職しているのだけど。

 一応これは日々の忘備録と自分自身の思考の整理も兼ねているので、こんな感じで時々昔の出来事を纏めていけたらいいなと思う。

日記のこと

ふと「日記を書こう」と思い至って、ずっと放置していたはてなのアカウントを引っ張り出してきた。最後にまじめにブログを書いていたのなんて中学生かそこら、要はまだTwitterが数多のミニブログ系サービスのひとつだった時代のことで、あくまで本拠地はブログ、Twitterはおまけみたいな感じだった頃の話だ。その頃はアメブロとかヤプログとかいろんなブログサービスがあって、ブログのサイドバーに貼り付けて育てるペットとかがいたけど、今はもう流石にサービス終了しているんだろうな、と不意に寂しくなる。そしてこういう時、私はもう「十分に若い」という年齢ではなくなってしまったのだなと感じる。振り返って懐かしむだけの質量を持った「過去」が、既にできてしまった。

それはともかく、職場でいろいろあって休職して地元に帰ってきて暇なので、取り敢えず今日の日付と曜日くらいは忘れないようにしようという名目で始める日記である。三日坊主どころかホームページ最盛期の時代には自分のWEBサイトの外観を整えただけで満足してしまい、肝心の中身を1日たりとも更新しなかった経験すらある私だけれども、まあなんとかやっていこう、という気持ちだけはある。気持ちだけは。