『儚い羊たちの祝宴』のこと

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

 

 米澤穂信儚い羊たちの祝宴』を読んだ。ミステリはそこそこ好きだったのだけれど「ミステリ好き」を自称するほどでもない私は、恥ずかしながら米澤穂信という名前をこの時初めてしっかり認識した(今までは「なんとなく見たことある名前かも」くらいで、彼がどんな作家だか全然知らなかったのだ。『氷菓』の作者だというのも今回初めて知った)。

 本作は、ミステリ風の短編集だ。あえて「ミステリ」と書かなかったのは、後述するけれど、私はここに、ミステリというよりもアンチミステリの息遣いを感じ取ったからだ。勿論「ミステリはまあまあ好きだけどミステリ好きを自称するほどでもない」人間の、薄ぼんやりとした所感に過ぎないけれど。

 尚、この感想文にはいわゆるネタバレを含むので、もしもそういうのが苦手な方がここに辿り着いてしまっていたら、そっと見なかったことにしていただくのが良いかと思う。そういう人に対して私が言えるのは「面白かったので、取り敢えず読んでください」の一言だけだ。

 

『儚い〜』に収録されている短編は5作。そのいずれもが、とある女子大学の読書サークル「バベルの会」の関係者の独白、もしくは手記形式である。関係者と一口に言っても間柄は様々で、本人が会員のこともあれば、以前の雇い主の娘が所属していた、程度の距離感のこともある。だが、とにかく全ての話に共通して「バベルの会」が出てくる。

 収録作品のひとつひとつについては、ここでは詳細を省く。ただ一つ言えるのは、恐らくこれは、「ミステリ」という言葉で一般的に想像されるような「殺人のトリックを考えたり、犯人を予想しながら読み進める」といったたぐいのものではない、ということだ。読み物としては当然面白いけれど、ページを戻って確認しなければならないような伏線や、思わず膝を打つような種明かしは存在しない。事件の当事者は皆、一種の狂気を滲ませながらも淡々と独白を行うし、颯爽と現れた名探偵が事件を解き明かすこともない。全ての事件が実は背後で繋がっていて、真の黒幕あるいは偶然の一致により必然的に引き起こされたのだった——というオチでもない。全ての事件はあくまで独立している。

 それぞれの事件の当事者を繋ぐ唯一の共通点は「バベルの会」の関係者だということだ。では「バベルの会」とは何か。その正体は最後の短編『儚い羊たちの晩餐』で明かされる。……しかし、それもまた、実は金持ちのミステリ好きが集まって殺人ゲームを楽しむ禁断の倶楽部でした、などということはない。一時は「バベルの会」に所属しながらも除名された『晩餐』の主人公に向かって、「バベルの会」会長は、サークルの存在意義を「虚構と現実の境目を曖昧にしてしまう夢想家が身を寄せ合うためのものだ」と語る。夢想家の彼らにとって、「晩餐」の主人公は余りに現実主義者だった。根っからの現実主義者は、閉ざされた避暑地に奇書を持ち寄って囁き交わす読書会などに居場所を求める必要などないと、こういう話なのである。

「バベルの会」の、そのささやかな存在意義を知った時、私の脳裏に浮かんだのは日本四大奇書の一角をそれぞれに担う『虚無への供物』と『匣の中の失楽』だった。双方共に、アンチミステリと称されることの多い作品だ。(というか、この二作は本来並行して語るべき作品ではない。『匣の中の失楽』は明らかに『虚無への供物』をオマージュしているからだ)

 上述した二作品には、明らかな共通点がある。それは、とある事件を解決しようと推理に乗り出す探偵役が、皆生粋のミステリ好きの「素人」だ、という点である。『虚無への供物』の登場人物は、その殆どがバー「アラビク」の常連であり、年齢も立場も異なるものの、夜毎自分たちの愛読書の話に花を咲かせている。『匣の中の失楽』はもっと直接的で、探偵小説を愛読する若者たちが集まる例会が舞台だ(まあ、単にミステリ好きが集まって推理する、という舞台設定それ自体は、別に珍しいものでもないけれど)。

『虚無への供物』の登場人物がミステリ好きの素人たちであることには、文字通り既存のミステリへのアンチテーゼとなる、重要な意味がある。『匣の中の失楽』についても、『虚無への供物』ほどではないものの、虚構と現実がごたまぜになる、という酩酊感を作り出す上で例会は重要な役割を果たしている。彼らは皆「あの作品にこんなトリックがある」とか「あの作家がこんなことを言っていた」とか言って、今ここで起きている事件にミステリの文脈を持ち込み、上書きし、結果として事件を必要以上に複雑怪奇にしてしまう。

 そう、『虚無への供物』も『匣の中の失楽』も「虚構と現実の境目を曖昧にしてしまう夢想家」たちの物語なのだ。私が『儚い羊たちの祝宴』をアンチミステリだと感じ取った理由は、恐らくここにある。

 本来「本格ミステリ」と呼ばれるものは、どこまでも現実の物語である必要がある。長々と引っ張った上に明かされるトリックが殆ど偶然の産物だったり、殺人の動機がくだらないことだったり、というのではブーイングものだ。

 けれど、ミステリは一枚岩ではない。ポーや乱歩(これも本来並行して語るべきではない名前だけれど)をはじめとした「狂気や虚構と隣り合わせ」のミステリは確かに存在し、そしてそれらは、いわゆる「本格ミステリ」よりも更に人を狂わせる。

 ミステリは本来現実的な存在だが、その熱狂者は大抵が夢想家なのだ。……そもそも夢想家でなければ何かに熱狂することなどないかもしれないが。

 恐らく『儚い羊たちの祝宴』に登場する「バベルの会」の会員たちは、『虚無への供物』の「アラビク」常連客や『匣の中の失楽』の例会のメンバーと同じだ。奇書に触れ狂気を育み、虚構と現実の境目をどこか曖昧にしたまま生きる人々だ。

 けれど、彼らには前者二作品の登場人物たちとの決定的な違いがある。

 明らかに「格落ち」なのだ。これは、作品の質がどうとか、そういう批判的な意味合いではない。

「バベルの会」の会員たちは、皆ポーや乱歩に耽溺し、現実とミステリとを重ね合わせ、その境界線がどこか曖昧になったまま生きている。それは『虚無への供物』や『匣の中の失楽』と同様だ。……だが、彼らはあくまで「羊」なのである。現実と幻想とを取り違えたまま、その境界の上で危うげに揺れたまま、けれどそこを踏み違える事は決してない。彼女たちは事件の引き金を引かないし、殺人事件の推理に嬉々として乗り出したりもしないのである。

 厳密に言えば、一人だけ例外がいる。第一の短編『身内に不幸がありまして』に登場するお嬢様、吹子は、バベルの会の会員であり、そして殺人者だ。だが、彼女はバベルの会の泊りがけの読書会には参加しない。故に「羊」であることから免れる。

 第五の短編『儚い羊たちの晩餐』は、バベルの会から追い出された現実主義者であるところの主人公鞠絵が、その生活の中で徐々に心を狂わせ、遂には泊りがけで読書会を行っていた会員たちを、家付きの料理人に皆殺しにさせる至る物語である。つまり作中における「羊」は犠牲となった会員たちであり、「晩餐」というのは、彼女たちの肉を使って作られた料理のことだ。料理人に殺人を命じた主人公鞠絵は、その「料理」が大量の材料を必要とすることを知らず、知らず知らずのうちに虐殺を命じてしまったことに気がついて気を狂わせる。彼女は、最後まで現実側に足を着いた人間だった。故に彼女もまた「羊」ではない。

 羊は、元より弱い生き物だ。それに「儚い」が付く。犠牲となったバベルの会の会員が皆、虚構と現実の間に身を置きながら、けれどもどこまでも無害な生き物であったことが強調されている。

 冒頭『身内に不幸がありまして』の吹子と、ラストの『儚い羊たちの晩餐』の鞠絵以外は、バベルの会の会員は直接登場してこない。間に挟まった3つの事件の犯人は、それぞれ会員たちと面識のあった使用人だ。故に、彼らも「羊」ではない。

 つまり『儚い羊たちの祝宴』というのは、その全編を通して「儚い羊」が、より強い狂気を抱く者、あるいは徹底して現実に生きる者に殺されるに至る物語なのである。

 一方的に殺される「羊」を私達は知らない。彼女たちは事件の加害者ではないから独白をすることもないし、惨殺された時の風景については描写されていない。……ただ、恐らくは、無力に、震えながら逃げ惑ったのであろう、ということが想像される。

 彼女たちは虚構と現実をないまぜにしながらも、虚構で現実を上書きするような力を持たない。故に『虚無への供物』とも『匣の中の失楽』とも違う、彼らのようにはなりきれない、あくまで「儚い」羊なのだ。彼女たちの夢想は、毒にも薬にもなりはしないのである。

 避暑地のサンルームで次々とその命を奪われる、無垢ではないが無力な乙女たち。彼女たちの横顔はわからない。ただぼんやりとしたイメージがあるだけだ。私達に独白をするのは、皆「羊」になることを免れた者たちなのだから。

 そもそも『晩餐』の主人公鞠絵が料理人に彼女たちの殺人を命じたのは「バベルの会」を除名されたことが原因だった。そしてその理由は前述の通り「現実に足をつけている彼女は、羊たちにとって強すぎた」からである。逆に言えば、羊たちは弱すぎた。そして、その弱さ故に殺されるのだ。「まるでミステリのような」動機と方法で。

 読了した後に調べて知ったのだけれど、この短編集は「『そんな理由で殺すなよ』とツッコまれるような奇妙な動機のシリーズで揃え、オチは読めるが皆それを言うのを待っているという落語的なものを念頭に置いていた」という。そういうところがまた、非常にアンチミステリ的だと、素人目線ながらそんな感想を抱いた小説だった。

コーチャンフォーのこと

 実家に帰ると必ず立ち寄る「コーチャンフォー」という店がある。私は、基本的には北海道に存在するものは全て東京にも存在する(広大な大地と快適な人口密度の地下鉄以外)と思っているので、実家に帰った際にわざわざ買い物に行くことはまずない。ウィンドウショッピングをするなら絶対に東京のお店の方が楽しいし、何か目当ての品物があるのなら尚更だ。北海道のお店だと、そもそも店舗に存在しなくて、取り寄せには5日から1週間かかります、とか、そういうことがざらにあるからだ。

 ここまで書けば安易に想像がつくと思うけれど、私は根っからの東京至上主義者だ。都会を崇拝していると言ってもいい。「東京で消耗する」ことの何が悪い、と思い続けている(まあ、思い続けた結果、うつになったわけだけれど)。便利で、人が沢山いて、新しいものやことは、なんでも東京から始まる。東京は、全てにおいて札幌に勝っていると思う。

 ……が、自分の地元で、たったひとつでいいから東京暮らしに勝ることを絞り出しなさい、と言われたら、私はコーチャンフォーの存在を挙げる。これだけは間違いなく、北の大地が東京に誇れる唯一の商業施設だ。

 コーチャンフォーとは何か。すごくざっくり言うと「なんでも売ってる本屋さん」である。といっても、ヴィレッジヴァンガードのパクりではない。寧ろ方向性は真逆だ。

コーチャンフォー」というのは、正しく書くと"Coach & Four"で「四階建ての馬車」という意味だそうだ。「書籍」「文具」「音楽」「飲食・映像」の4つのジャンルを取り扱うことから、こういう名前がついたらしい(私もググって初めて知った)。

 つまり、北海道の広大な敷地を有効活用した建物の中に、本屋と、文房具(と雑貨)屋と、CDショップと、ミスタードーナツ(うちの近所の場合は)が入っているのだ。

 これは、最寄りの電車駅まで徒歩1時間半かかるド田舎に暮らす10代女子にとって、実質ディズニーランドだった。

 別に、似たような店が東京に無いわけではないだろう。お洒落な文具と本を取り扱う店なんてごまんとあるし、そういう店の地下にはたいてい、古き良き喫茶店が入っていたりする。だが、コーチャンフォーの強みは、その大きさだ。とにかく売り場面積が広大なのだ。それも、私の地元の店舗は平屋だったから、店に入った途端、眼前にダーッと平積みにされた本と、その後ろにどこまでも並んだ本棚が見える。ひとつひとつの書棚を見て回っていたら、多分まる1日かけても足りないだろうな、というのがひと目で直感できる。

 10代の頃、家と学校を除いて一番滞在時間の長かった場所はどこかと問われれば、恐らくはコーチャンフォーになるはずだ。そのくらい、私はこの巨大な商業施設にお世話になっていた。

 この書店を巡る際には、私の中で行動順序がある程度決まっていた。まず入り口手前の雑貨コーナーを見て、新しい季節フェア等が行われていないかチェックする。年末は手帳が置いてあったり、春には小さな雛人形が売られていたりするからだ。

 それが終わったら、本売り場にいって、まずは雑誌コーナーへ行く。ひとくちに雑誌といっても大量にあるので、見て回る列は事前に決める。その後は文庫が売り上げ順に平積みにされたコーナーへ。大抵は表紙の可愛い、いかにもエンタメですという感じの本が数冊は並んでいるから、その中から読み味の軽そうなものを選ぶ。たまにエンタメ小説に混じって表紙を若者向けに一新した古典文学の文庫本が売られているから、表紙が可愛ければそれも買う。なんだかんだで年頃の女子だったので、どうせ『恐るべき子供たち』を読むのなら、光文社や岩波のこういうの

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

 
恐るべき子供たち (岩波文庫)

恐るべき子供たち (岩波文庫)

 

  よりも、萩尾望都表紙の小学館版とか、お洒落な角川版

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

 
怖るべき子供たち (角川文庫 (コ2-1))

怖るべき子供たち (角川文庫 (コ2-1))

 

  の方がいい。絶対にいい。小畑健表紙の『人間失格』が集英社から出た時は「流石に媚びすぎだろ」と思わないでもなかったけれど、「見た目がよければ若い人間はホイホイ買うと思って馬鹿にしやがって」と思いながら、見事にその策略にハマっていた。

 とにかく、文庫本を見終わったら、ハードカバーのコーナーに移動して面白そうな本を物色し、メモしておいた。どうせ後で文庫版になるのだから、それを待った方が得だ。

 ただ、それでもたまに、「どうしても今読みたい」という本がある。そういう時は基本的に、母親にねだっていた。この楽園のような書店は家から車で20分程度のところにあり、バスや電車で目指すと1時間以上かかるので、私はいつも、ここに、母親に連れてきてもらっていたのだ。

 生まれてから高校2年の終わり頃になるまで、私の家は、お世辞にものびのびと生活できる空間だとは言いがたかった。父親がいたからだ。

 父は、私が小さな頃は厳格な人だった。躾と称して手を出すことも珍しくなかった。それが、私が小学校低学年だった頃に出ていって、数ヶ月もしないうちに、また帰ってきた。当初は私のことや母の生活態度を理由にして離婚しようとしていたのだが、本当は生活のストレスが原因で家を出たのではなく、会社の女の人とデキているのだとバレてしまったからだった。

 帰ってきた父を、母は受け入れた。それを見た私は、父と母を、両方少しずつ軽蔑した。父のことは嫌いになった。日常的に叩かれていた時は寧ろ気に入られようと一生懸命だったのに、怒鳴りながら家を出ていく後ろ姿と、玄関で涙ながらに許しを請うその薄い唇を見て、呆気なく嫌いになった。

 家にいる時の父はいつも不機嫌だった。暗い部屋でパソコンを眺め、キーボードをばちばちと叩き、気に入らないことがあると怒鳴った。私もそれなりに大きくなっていたから、もう暴力は振るわなかったが。

 帰ってきた父は、色々な妄想にとりつかれた。一番お気に入りだったのは陰謀論で、飛行機雲の写真を撮って、自分のブログにアップしていた(ということを、私は父の話から知り、会話の断片から得た情報で特定して以来、そのブログをずっとヲチっていた)。飛行機雲はアメリカ軍が天気を操作するために空気中に薬品を散布している証拠なのだそうで、わざわざそれを撮影するために購入したデジカメをいつも手放さず、世界に蠢く「陰謀」の断片が見えると、私にその重大さを話して聞かせた。適当に相槌を打ったり茶化したりすると怒鳴るので、私は父の話に驚き、感心し、世界を裏から操作する悪しき組織の存在に恐れ慄かなければならなかった。

 話が逸れてしまったけれど、そういうわけで、私も母も、家にいるのが苦痛でしかたなかったのだ。私は小学校の半ばくらいから遠くの学校に転校していたので、その送り迎えを口実に、母は毎日私をコーチャンフォーへ連れて行ってくれた。

 コーチャンフォーは私にとって、学校から家に帰る間に挟まる、痛みを和らげてくれるクッションのようなものだった。学校も大して好きではなかったから、辛いことと辛いことの間にちょこっとご褒美が入るような感覚だった。

 中学校に上がって仲の良い友人ができて、放課後は彼らの家や外で遊ぶようになっても、相変わらずコーチャンフォーは、私の聖域で、楽園だった。

 

 先日、やっぱりコーチャンフォーへ行った。実家に帰ってきたところですることもなく、日がな一日ごろごろしている私に「どこか行きたいところはないの? 連れて行ってあげるよ」と母が聞いたからだ。「コーチャンフォー」と即答した。

 店内に充満する本の匂いと、視界いっぱいに積まれた本を見て、ようやく「ああ、実家に帰ってきたな」という感じがした。学校より家より、コーチャンフォーは私にとっての「実家」だった。

 久々に訪れたコーチャンフォーは、CDコーナーの1/3ほどが削れていて、代わりに成城石井の輸入食品コーナーが入っていた。お洒落なスパイスや珍しいお酒、カロリーの馬鹿高いチョコレートなんかが売られていて、ちょっと感動してしまった。この夜子が生まれた時代はCDしか売られていなかった。

 余りに感動して、意味もなくハリボーのグミを買った。こんなもの、別にコーチャンフォーじゃなくたって手に入る。東京の私の家なら、徒歩数分でドンキに行けるし、そこには多分、コーチャンフォーのCD売り場の端っこよりもよほど沢山の種類のグミが並んでいるだろう。

 けれど、私はコーチャンフォーのグミがよかったのだ。私にとってコーチャンフォーのグミを買って食べることは、あの頃の、家と学校との間に挟まった、柔らかくて懐かしいしずくを咀嚼するのと同じだ。

 世の中ではこれを「思い出補正」とかなんとか言うんだろうなあ、と思いながら、今私は、ざらざらした砂糖まみれの甘ったるいグミを食べている。

 

『彼女は頭が悪いから』のこと

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を読んだ。2016年に東大生5人が起こした強制わいせつ事件をモチーフにした作品で、被害者となった女性「美咲」と、彼女を現場のマンションに連れ込んだ張本人である「つばさ」の2人を中心に据えつつ、事件に関わった人々の心情や立ち位置を細やかに描いた作品だ。題材が題材なので、ジェンダー論やフェミニズム的観点からも逃れることはできない。

 正直に言えば、私は姫野カオルコについて「整形の話とかを赤裸々に書いてる女流作家」というイメージしかなかった。可愛らしい名前に惹かれて、小学生か中学生くらいの時に図書館で一度本を手にとった記憶があるが、それがなんというタイトルだったか、最後まで読み通せたのかすら覚えていない。

 私が『彼女が〜』を手にとったのは、そこにフェミニズム的な主義主張が書かれていることを期待したからだ。事件が報道された当時、世論の中に、確かに「自分でノコノコついて行ったくせに訴えるなんて、とんだ勘違い女だ」という風潮があったのを覚えている。だから、それに対する強烈なカウンターを期待していた。作者の主張の代弁者のような登場人物が颯爽と現れて、被告の女性を誹謗中傷する人間たちに人権とはなんぞやという話を説いて聞かせる——とまでは思わなかったけれど、とにかく、そもそも題材からして、フェミニズム的主義主張が第一にやってくる作品になるだろうと思っていた。

 けれど、本を開いて最初に読み始めた時、私が最初に抱いたのは、作者のジェンダー観への共感でもなく、フェミニズム的主張への賛同でもなく「姫野カオルコ性格悪っ!」という感想だった。これは褒め言葉です。

 本作の中には、沢山の「己の感性に無自覚なひとびと」が出てくる。たとえば主人公の美咲は、ごく善良でのんびりとした、けれど決して教養豊かとはいえない両親のもとで育った、自分の善良さと無知に無自覚な女性だ。反対に東大生のつばさは、高学歴で高所得の両親のもと育ち、自らの優秀さを疑ったこともなく、己の境遇の幸福さと肥大化した自意識に無自覚な男性だ。

 それがよいことにしろ悪いことにしろ「自分に対して無自覚」な人間は沢山いる。私自身、物心ついた時からずっと「自覚的でありたい」と思い続けていて、それでも時々それが上手くいかないことがあるから、彼らの「無自覚さ」を執拗に、残酷なまでに克明に描き出す冷徹さに衝撃を受けた。

 登場人物の誰もが自らに対して無自覚で、姫野カオルコの視点である地の文は、彼らの無自覚さを、何度も何度も、それこそ「無自覚な人」でも分かるように丁寧に、執拗に解説する。そのひんやりとした視線に同調しつつも、心のどこかで、自分にも彼らと同じような無自覚さがあるのではないか、仮に自分の振る舞いをどこかで姫野カオルコが見ていたら、この「地の文」にはどんな風に解説されるのだろう、と思って、急に恥ずかしくなる。そんな残酷さが、この小説にはあった。

 人は結局、自分以外の誰かの視点は持ち得ない。だから簡単に誰かを「馬鹿だ」と非難したり、反対に手放しで「あの人はすごい」と称賛してしまったりする。平たく言ってしまえば「人間関係における、あるある」なのだけれど、その「あるある」を後に起こる事件と絡めて、色々な意味で「痛々しく」描ききる手腕には壮絶なものがある。普段からこういう風に冷たい目で他人のことを見ていなければ、ここまで生々しくは描けない。だから「性格悪っ!」と思ったのだ。

 ジェンダーフェミニズムの話を期待して読んだだけに、これは私にとって衝撃的だった。これはジェンダーの小説である前に、人の自意識の小説だと思う。

 ただ、ひとつだけ気になる点があったとすれば、それは作品の中で何度も繰り返される「東大生」という生き物に対する画一化だ。ひとくちに東大生といっても、いろんな人がいる。あいにく私の周囲に沢山の「東大生」のサンプルが存在するわけではないが、東大生だって当たり前に人間なのだし、そのくらいはわかる。これだけの切れ味であれだけの小説を書けたのだから、姫野カオルコもそれはわかっているはずだ。

 にも関わらず、本作に登場する「東大生」および「世間一般的に言われる『頭のいい人』への描写は、「自意識」についてのそれと比較すると、余りにも雑で、もっと言えば、偏見に満ちているように思える。

『彼女は〜』に登場する東大生は、そのほとんどが「自分の境遇や在り方に何の疑問も抱かずに、受験戦争というシステムに適合して生きてきた、ある意味では優秀だが、情緒はほとんど発達していない人間」として描かれる。唯一の例外は主人公つばさの兄だが、彼はこの作品が示すところの「東大生ルート」から自ら外れる道を選ぶので、厳密には「姫野カオルコ的東大生」とは言えないだろう。

 ここで言う「東大生」とは、一定以上裕福な家に育ち、子供の頃から優秀で、受験のシステムに適応できるだけの「単純さ」と「無垢さ」を持ったまますくすくと育ち、その後はやはり「優秀な」人間として、誰もが羨ましがるような職に就く人間を指す。

 つばさの兄は、司法試験を諦め、祖父母の実家である北海道で教鞭を執る道を選んだことで、親が用意した「東大ルート」から外れた。この進路をどう思うかは人による(と、姫野カオルコも書いている)が、少なくともつばさの家庭にとっては、それはドロップアウトだった。つまり、つばさの兄は「画一化された有能人間製造機」から逃げ出した人間として描かれているのである。

 そして、その道を選び取った兄の心情は「無自覚」を貫いてきたつばさの視点でしか描かれない。つまり、そういう兄を、つばさは「馬鹿だなこいつ」と冷めた目で見ているのだ。勿論、その事実自体が、翻ってつばさの無自覚さを強調する材料として描かれてはいる。「優秀な」つばさは、「優秀でなくなった」兄が理解できない、理解しようとするだけの情緒もない、ということが、批判的な視線で描かれている。

 だが、それだけだ。たとえばつばさの周囲の東大生で、つばさたちと同じように「優秀な」ラインに乗っかってここまで来て、そのまま、優秀なままに駆け抜けていく学生の中に、つばさの兄のような人間はいない。大抵はつばさに理解できないような言動をとって「ドロップアウト」していってしまう。そこに、つばさたち「優秀な東大生」が見下せる要素が存在するキャラクターとして描かれる。

 勿論、そこには、主人公であるつばさの友人関係が、東大の中でもごく狭い理系の一部に限定されているという事情も絡むだろう。理系のごく一部の、似たような人間とつるんでいるわけだから、皆つばさと似たような思考回路をしている。それは当たり前だ。

 加えて、ただでさえ「美咲」と「つばさ」という、境遇も感性も異なる二人が主人公なのだ。彼らを取り巻く人間関係も描写しなければならないのに、更に「東大生の例外パターン」についても丁寧に取り扱おうとすると話が散らかってしまうであろうということはよくわかる。……けれど、それにしたって、一応「つばさや、彼の友人のような東大生ばかりではない」という但書は、もう少し丁寧につけてあげてもよかったのではないかと思う。

 これが、つばさと美咲の心情にばかり焦点を当てた小説であれば印象は違っただろう。しかし、つばさや美咲以外の人間にもそこそこスポットライトが当たり、更に彼らの心情や「無自覚さ」を、何度も何度も丁寧に、残酷なまでに描写するのであれば、同じくらいの丁寧さで「そうでない東大生」のサンプルを取り上げてもよかったのではないかと思う。たとえば、つばさたちと同じような「優秀ライン」に乗っかって、つばさの兄のようなドロップアウトもせず「優秀ライン」のまま世に出ていきながらも、その実胸の内では葛藤を抱えている「東大生」というような。

 つばさたち「無自覚な東大生」の心情描写が丁寧であるがゆえに抱いた感想だ。

『彼女は頭が悪いから』は、東大の購買で平積みになったらしい。手を伸ばした理由も読んだ感想も人それぞれだろう。当たり前だ。東大生も当たり前に人間だからだ。

 中には、作中に描かれた「東大生」の在り方を見て、もやっと感じた現役学生もいたのではないかと思う。きちんと姫野カオルコの小説を読み込めばフォローがあることは理解できるのだが、それにしたって「嫌な東大生」と「いい東大生」の描写の丁寧さに差がありすぎる。

 もしかしたら尺やストーリーラインの整理の都合上削られてしまったのかもしれないけれど、「悪意」の解像度が高すぎたが故に、「善意」についても、もう少し解像度を上げてほしかったな、と、素人目線ながらそんな感想を抱いた小説だった。

貧乏のこと

 お金がない。理由は自分でわかっている。今まで、収入以上に使ってきたからだ。それ以上でも以下でもない。あたりまえの理屈である。消費カロリー以上に食べるから太るのと同じだ。

 スマホゲームのガチャ、かわいい雑貨にぬいぐるみ、周囲に人として最低限の常識とマナーがある存在だと思ってもらうための洋服、ついつい終電まで遊んだ時にぽんと払った飲み代。そういうものが積み重なって、いつしか前の月のカード代を払ったら今月の生活費が赤に、その分をカードでどうにかして……という自転車操業を、ここ1年ほど続けていた。けれど、それをネタにして笑っていたのは元気に働いていられた頃だけで、休職して傷病手当金を待っている状態の今、どうやって食いつなごうか、というのが目下の課題になっている。

 実家に身を寄せているのだから親に全てを詳らかにして、土下座でもして借りればいいじゃない、とも思うのだけれど、これについては自業自得以外の何ものでもなく、既に衣食住の面倒を半ば以上見てもらっている親に対して更に負担をかけることになるのはしのびない。

 ……というのは言い訳で、正直今のお財布状況を知られたらどんな反応をされるかわからないので、それが怖くて黙っている。

 思えば、お金についてはずっと昔からそんな調子だった。中学だか高校のころ、親から貰って貯めていたお小遣いを使い込んだことがバレてひどく叱られて以来、自分の金銭事情については、親にだけはひた隠しにする日々を続けている。友人だの同僚だのには散々話してネタにしているのに、だ。大学時代、食費が底をつきて毎日うまい棒を食べていた時も、家賃が払えなくて趣味のコレクションを泣く泣く売り払った時も、残高が四桁しかない通帳を見られた時も(その時についた嘘のせいで、私は今、いくつかの銀行口座を並行して使っていることになっている)。

 ひどく叱られたことがトラウマなら、そもそもお金を使い込むのをやめればいいのに、こちらの悪癖は年齢を重ねるごとに酷くなっていっている。学生時代と比べれば収入は確実に増えているのに、毎月の支出はなんと学生時代以下なのだ。おどろき。一体何にそんなに使ったのだろう、と調べてみても、性根が雑な私は全てを「雑費」に詰め込んでしまうので、家計簿も何の意味もなさない。

 不幸中の幸いは、うつになってほとんどお金を使わなくなったことだ。アパートで一人暮らしをしていた頃は食事なんて1日に1回するかどうかだったし、当然人と遊びに行くこともなければ、新しい洋服を買うこともない。だから、無事に傷病手当金を受け取って、今まで積み重ねたカードの支払を終えれば正常化できるはずだ。たぶん。

 子供の頃は、大きくなったら自分の悪いところ、だめなところは全部消え去って、当たり前のようにまともで真っ当な「おとな」になれるのだと思っていた。実際のところ大きくなったのは図体だけで、自分の周りにも「ウン十年間ずっとこんな調子でよく今まで生きてこられたな」という「おとな」が山ほどいる。実際私も、十分だめだめな大人だ。

 今までの自堕落な生活で積み上げた負債を全て整理して、きちんと復職して、今断ってしまっている人間関係を取り戻して。……そうしてはじめて、私はいろんな人達に堂々と顔向けできる「おとな」をやりなおせるのかもしれない。

 なんて綺麗に締めたけれど、要はお金がなくてどうしよう、という話。無いものは無い。どんなに頭を捻っても絞り出せるものじゃない。どうしましょうね。

エイプリルフールのこと

 エイプリルフールが嫌いだ。……と言うと、流行り物やお祭り騒ぎには取り敢えずケチをつけるひねくれ者のおじさん、おばさんが書く新聞の読者投稿欄みたいに聞こえるかもしれないけれど、別に「猫も杓子もエイプリルフールと悪ふざけを持て囃すのはいかがなものか」とか、そういうことが言いたいわけじゃない。むしろ私は悪ノリとか馬鹿みたいな冗談とかは好き、いや大好きな方だし、ニコニコ動画で「才能の無駄遣い」とか「努力の方向音痴」とかコメントがつくような動画をたくさん観ていた時期もあった。プレイしているソシャゲは今年もこぞって楽しい企画を用意してくれたし、思い切りそれらにあやかっているので、寧ろ世間的に見たら「エイプリルフールが好きな人」だと思う。実際、エイプリルフールは好きだったのだ。去年までは。

 去年の末ごろ、たしかクリスマスが過ぎた頃合いだったと思う。会社の偉い人から「来年のエイプリルフールの企画を作って欲しい」という通達があった。もちろん名指しで私が抜擢されたわけではなく、チーム全員へのお触れのようなものだった。

 が、それが、なぜか私の担当になってしまった。

 明確に「夜子さんが中心となって動いてください」と言われたわけではない。上司に相談されて(多分チームの中で一番若いからとか、SNSに親しんでいるからとか、そういう理由だと思う)、そのまま、じゃあ企画書お願いね、という流れになってしまったのだ。多分、世の中の会社ではよくあることだと思うのだけれど。

 常日頃の私なら、その手の仕事は喜んで引き受けたと思う。1日限りの冗談のためにお金を動かしていいのだ。自分の考えた冗談を実現させるためだけに、堂々と人の手を借りていいのだ。しかもそれがウケたら褒められるのだ。最高じゃないか。

 ただ、その時私は既に、精神的にも体力的にもかなり疲れていた。日頃の仕事をなんとかこなすので精一杯だったし、それにしたって、明らかに以前より能率が落ちていることが、ひしひしと身にしみて感じられていた。でも、断れなかった。

 他に誰もやる人がいないから。少なくとも、当時の私はそう思っていた。後から振り返れば、年が明けて休みがちになり、遂には休職した私の代わりに職場の人たちが全ての仕事を引き継いでくれたのだから、「私がやらないとやる人がいない」なんていうのは全くの嘘なのだけれど、とにかく私はそう信じていたのだ。もしかしたら信じたかったのかもしれない。

 それで企画に着手した。身バレが怖いので詳細は伏せるけれども、かなり様々な制約があった。求められている規模感に対して与えられた準備期間、使用できる素材や手を借りることのできるメンバー。上からも下からも、いろんなことを言われた。それでもなんとか企画書を完成させたけれども、提出したそれは、「なんか違う」と言われたり、「もっとド派手にやってほしい」と注文がついたり、最初は無かった条件を上乗せされて突き返された(少なくとも、私にはそう見えた)。

 これ以上職場の不満をぐちぐちと書き連ねるつもりはないのだけれど(人の愚痴なんて、誰だって好きこのんで沢山聞きたいとは思わないだろう)、そういうことを繰り返すうちに、その他の仕事のストレスも相俟って疲れ切ってしまったのだ。他にもいろいろ理由はあったのだけれど、私が休職まで至った理由のひとつに、確実に「エイプリルフール」は絡んでくると思っている。

 昨今、エイプリルフールはきっと、BtoCの多くの企業にとって大イベントだ。今年も面白い企画がたくさんあった。私が途中でいなくなったせいで誰かが引き継ぐ羽目になったエイプリルフール企画も、ささやかながらきちんと世に出ていた。そういうものを見つつ、どうしてもその裏側で、年々厳しくなっていく制約に喘ぎながら企画を作らされている誰かのことを考えてしまう。スタッフが本当に楽しんでいるのならいい。やりたい人たちがやりたいことをして、余力のある企業がそれにお金をかけて、よかったね、と笑い合えているのならいい。でも、もしも「四月馬鹿」のために毎年胃を痛め、「たった1日のためにこんなに力を入れるなんて馬鹿げてるなあ」と笑いながらリツイートボタンを押して貰う、それだけのために毎日遅くまで泣きながら残業している人がいるとしたら、エイプリルフールなんてせーのでやめてしまった方がいいんじゃないか、と思うのだ。

 日本の同調圧力、という論調では決して語りたくないけれど、最初はユーモアのわかる誰かがプラスアルファで初めたことが、いつの間にか義務になって、みんなを苦しめる悪しき習慣になってしまう、みたいなことは、これ以上あってほしくない。そういうのは年賀状とか、お中元お歳暮だけで十分だ。

 そんなことを考えながら、FGOのエイプリルフール企画で配信されたFate/GrandOrder Questをプレイしている。とても手が込んでいて凝っている。面白い。……どうか、これに関わった全ての開発・広報スタッフが楽しんで作ってくれていますように。

新元号のこと

 新元号が「令和」に決まったらしい。仕事の関係上、エンジニアとも関わりが深かったので、元号が事前に決まるのはよいことだなあ、とぼんやり思う。発表の瞬間は母親と一緒にテレビに張り付きつつ、手元でTwitterも開いていたのだけれど、誰も彼もがお祭りムードで、平日の昼間なのに一瞬でタイムラインが濁流のように流れていって「一大イベントの渦中にいるんだなあ」という感じがした。

 昭和半ば生まれの人たちにとっては「自分たちが見られる最後の元号かもしれない」という感覚があり、平成生まれの人たちにとっては生まれて初めての「元号が変わる瞬間(まだ変わってないけれど)」として受け入れられた令和。天皇崩御していないので、祝賀ムード一色で新元号の話題を持ち出せるのもこの雰囲気に貢献しているのかもしれない。

 そんなことを思いつつ、実家のテレビをぼんやり眺めて「ああ、私は今後『そうそう、あの年の4月は新元号発表があってさ〜』という話題になるたびに『あの時は休職していたっけ……』とこの日を思い出すんだなあ」と考えていた。新元号に切り替わる日は、どこで何をしているんだろうか。

紹介状のこと

 とある出来事から数日が経ち、当初のショックやそれに連鎖した落ち込みからようやく回復してきたので、個人的な備忘録として書き留めておくことにした。正直に言ってこれを書いている今でも、(いろいろな意味で)日記として言葉にして記録しておくことを迷っているので、途中でやめたり、後から消したりするかもしれない。

 と、勿体ぶって書き始めたけれど「とある出来事」の全貌はとてもシンプルだ。医者から貰った紹介状を開封した。そこに書いてあったことに、ショックを受けた。おしまい。

 一応、言い訳がある。紹介状は開けてはいけないものだと知らなかったのだ。外側に他人の宛名が書いてあるんだから開けちゃいけないに決まってるやろがい、と思われるかもしれないけれど、これにもまた言い訳がある。

 そもそも、私が今通院している医者に紹介状を書いてもらう必要が生じたのは、地元の北海道に帰るからだった。東京では近所のメンタルクリニックに通院していたけれど、まさか北海道に帰ってからも週に1回飛行機に乗って受診するわけにはいかない。しかし、休職中の身で医者に罹らずふらふらしているわけにもいかないので、かかりつけ医に事情を説明し、紹介状が欲しい、と申し出た。

 1週間ほど待ってくれ、と言われて渡された封筒には、単に「担当医先生」としか書いていなかった。紹介状と言うからには特定のお医者さんを紹介してもらえるのだろうと思っていた私は、1週間のうちにいくつか知り合いだの、同じグループ(?)だののお医者さんを当たってくれたのかしらと考えて、中に病院のリストでもあるに違いない、と、軽率に封を開けてしまったのだ。

 今から思えば、常日頃の私らしくない行為だったと思う。いつも覗き込んでいる小さな箱はただのゲーム機ではないだろうに。そこはggりなさいよ私。だいいち、休職するため職場に診断書を持っていく時だって、事前に開封して大丈夫なのか念入りに調べたのだ。今から思えば、その時「大丈夫」という結論が出たから今回軽率な行動をとってしまったのかもしれないけれど。

 まあ、言い訳はこの辺にしておいて、とにかく封を開けて中を見た。それで、それなりのショックを受けた。

 そもそも、私は「紹介状」というのは、単に繋がりのあるお医者さん同士で「うちの患者さんがこういう事情で行くからよろしくね」という挨拶程度に使うものだと思っていた。詳しいことは、病院同士でカルテの取寄をしたりとかなんとかするんだろうなあ、くらいのぼんやりとしたイメージしかなかったのだ。

 それが、思ったよりもかなり詳しく、お医者さんから見た「私」の現状について書かれていた。そうして、その詳細が、私が想像していた内容と、180度……とまではいかないけれど、90度くらい違っていたのだ。

 詳細については記載しないが(ワールドワイドに自分の病状を発信するのはなんだかな、という気持ち以上に、事細かに自分の手で文章にしてあげつらっていたら、また憂鬱になりそうなので)、端的に言えば、お医者さんは私の話をあまり信用していないのだ、と読み取れるようなことが、そこに書いてあった。断酒も服薬も、それなりに真面目に実行してきたつもりなのに、「まあ本人はそう言ってますけど、本当かどうかはわからないですね」くらいのテンションで記載されている。どうしても起きられない日があって、予定していた診察日に行けなかったことが何度かあったのだけれど、通院も不定期になりがちだし、あまり治療する気がないのではないか、といった語り口で書かれている。

 もしかすると、これはいわゆる「お医者さん文法」というやつなのかもしれない。24時間365日私を見ているわけではないのだから、当然お医者さんから見た事実は、あくまで「患者はこう言っている」という、それだけだ。だからそういう書き方にならざるを得ないのであって、別にそこにはなんの含みも無いのかもしれない——けれど、書かれていた文章は、一瞥して衝撃を受けるには十分だった。

 他にも、私が以前もメンタルクリニックに罹っていたことがあることを指して「もしかすると内因性のうつだったり、パーソナリティの問題かもね」みたいなことも書かれていて、また衝撃を受けた。こちらについては、どちらかというと「当時罹っていたときには割と特殊な事情があって、そのときのことは軽くしか話していないのになあ」という感想の方が大きかったのだけれど。

 ついでに、私の家庭事情について、父と母が全く逆に書かれていて、少しだけ笑ってしまった。もしかしたら私の話をちゃんと聞いていなかっただけなのかもしれないけれど、まあ上述した諸々を見て、それなりに信用していたお医者さんが、私のことをそんな風に見ていたのか……と、ショックを受けたのである。

 人から、自分に対する率直な感想を聞く機会はまず無い。そこに人間関係がある以上、周囲の人々はどうしたって遠慮するし、気を遣う。仮に私に致命的に悪いところがあったとして、別に赤の他人なんだし、わざわざ嫌われるリスクを冒してまでそれを指摘してあげよう、と思ってくれる人はなかなかいない。

 ……もしかして、私の周りのみんな、口にしないだけでこういう風に思っていたんじゃないか。お医者さんは仕事だから我慢していたけれど、本当は私が受診するたび「こいつ本当なんなんだよ、治す気も無いし、ただ甘えてるだけか?」とイライラしていたのではないか。そう思い始めると、東京に戻った時、普通の顔でまたあの病院に通えるか、少しだけ自信がなくなってしまったのだ。

 開封した紹介状は、今私の手の中で持て余している。開封した後に調べて(遅いのはわかっている)本来開けてはいけないものを開けてしまったのだとわかったわけだし、そもそも特定の宛名が書いていないので、自分でいちからクリニックを探すことになる。私の地元は超ド田舎というわけではないけれど、電話1本で数日後にサクッと予約がとれるような病院を探すのは、なかなか骨が折れる(事実、何軒か電話してみたけれど、みんな予約が取れるのが2週間以上先、と言われてしまった)。どのみち東京に帰るまでのつなぎのような形での受診になるのだから、じゃあ来月来てください、と言われても困ってしまう。

 そういう理由で、この封の開いてしまった紹介状をどうしようか悩んでいる。

 東京のお医者さんから貰った薬の残りは数日分。これが切れたら眠れなくなってしまう。しかし当然、新たなお医者さんに罹る目処もついていない。さっさと東京に帰ってしまおうか。それがいい、と思うのだけれど(これは他にもいろいろと理由がある)、私を心配して手元に置きたがっている親に、それをなかなか切り出せない。

 こうして改めて文字に書き起こしていると、やっぱり憂鬱になってくる。唯一の進歩といえば、友人や職場に無事連絡をとれたことくらいか。友人との約束も職場からの連絡も、私が覚悟していたような状況にはなっていなかった。不幸中の幸いというかなんというか。

 残り少ない錠剤を甘いジュースで流し込みながら、このエントリを書き終えます。