コーチャンフォーのこと

 実家に帰ると必ず立ち寄る「コーチャンフォー」という店がある。私は、基本的には北海道に存在するものは全て東京にも存在する(広大な大地と快適な人口密度の地下鉄以外)と思っているので、実家に帰った際にわざわざ買い物に行くことはまずない。ウィンドウショッピングをするなら絶対に東京のお店の方が楽しいし、何か目当ての品物があるのなら尚更だ。北海道のお店だと、そもそも店舗に存在しなくて、取り寄せには5日から1週間かかります、とか、そういうことがざらにあるからだ。

 ここまで書けば安易に想像がつくと思うけれど、私は根っからの東京至上主義者だ。都会を崇拝していると言ってもいい。「東京で消耗する」ことの何が悪い、と思い続けている(まあ、思い続けた結果、うつになったわけだけれど)。便利で、人が沢山いて、新しいものやことは、なんでも東京から始まる。東京は、全てにおいて札幌に勝っていると思う。

 ……が、自分の地元で、たったひとつでいいから東京暮らしに勝ることを絞り出しなさい、と言われたら、私はコーチャンフォーの存在を挙げる。これだけは間違いなく、北の大地が東京に誇れる唯一の商業施設だ。

 コーチャンフォーとは何か。すごくざっくり言うと「なんでも売ってる本屋さん」である。といっても、ヴィレッジヴァンガードのパクりではない。寧ろ方向性は真逆だ。

コーチャンフォー」というのは、正しく書くと"Coach & Four"で「四階建ての馬車」という意味だそうだ。「書籍」「文具」「音楽」「飲食・映像」の4つのジャンルを取り扱うことから、こういう名前がついたらしい(私もググって初めて知った)。

 つまり、北海道の広大な敷地を有効活用した建物の中に、本屋と、文房具(と雑貨)屋と、CDショップと、ミスタードーナツ(うちの近所の場合は)が入っているのだ。

 これは、最寄りの電車駅まで徒歩1時間半かかるド田舎に暮らす10代女子にとって、実質ディズニーランドだった。

 別に、似たような店が東京に無いわけではないだろう。お洒落な文具と本を取り扱う店なんてごまんとあるし、そういう店の地下にはたいてい、古き良き喫茶店が入っていたりする。だが、コーチャンフォーの強みは、その大きさだ。とにかく売り場面積が広大なのだ。それも、私の地元の店舗は平屋だったから、店に入った途端、眼前にダーッと平積みにされた本と、その後ろにどこまでも並んだ本棚が見える。ひとつひとつの書棚を見て回っていたら、多分まる1日かけても足りないだろうな、というのがひと目で直感できる。

 10代の頃、家と学校を除いて一番滞在時間の長かった場所はどこかと問われれば、恐らくはコーチャンフォーになるはずだ。そのくらい、私はこの巨大な商業施設にお世話になっていた。

 この書店を巡る際には、私の中で行動順序がある程度決まっていた。まず入り口手前の雑貨コーナーを見て、新しい季節フェア等が行われていないかチェックする。年末は手帳が置いてあったり、春には小さな雛人形が売られていたりするからだ。

 それが終わったら、本売り場にいって、まずは雑誌コーナーへ行く。ひとくちに雑誌といっても大量にあるので、見て回る列は事前に決める。その後は文庫が売り上げ順に平積みにされたコーナーへ。大抵は表紙の可愛い、いかにもエンタメですという感じの本が数冊は並んでいるから、その中から読み味の軽そうなものを選ぶ。たまにエンタメ小説に混じって表紙を若者向けに一新した古典文学の文庫本が売られているから、表紙が可愛ければそれも買う。なんだかんだで年頃の女子だったので、どうせ『恐るべき子供たち』を読むのなら、光文社や岩波のこういうの

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

 
恐るべき子供たち (岩波文庫)

恐るべき子供たち (岩波文庫)

 

  よりも、萩尾望都表紙の小学館版とか、お洒落な角川版

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

 
怖るべき子供たち (角川文庫 (コ2-1))

怖るべき子供たち (角川文庫 (コ2-1))

 

  の方がいい。絶対にいい。小畑健表紙の『人間失格』が集英社から出た時は「流石に媚びすぎだろ」と思わないでもなかったけれど、「見た目がよければ若い人間はホイホイ買うと思って馬鹿にしやがって」と思いながら、見事にその策略にハマっていた。

 とにかく、文庫本を見終わったら、ハードカバーのコーナーに移動して面白そうな本を物色し、メモしておいた。どうせ後で文庫版になるのだから、それを待った方が得だ。

 ただ、それでもたまに、「どうしても今読みたい」という本がある。そういう時は基本的に、母親にねだっていた。この楽園のような書店は家から車で20分程度のところにあり、バスや電車で目指すと1時間以上かかるので、私はいつも、ここに、母親に連れてきてもらっていたのだ。

 生まれてから高校2年の終わり頃になるまで、私の家は、お世辞にものびのびと生活できる空間だとは言いがたかった。父親がいたからだ。

 父は、私が小さな頃は厳格な人だった。躾と称して手を出すことも珍しくなかった。それが、私が小学校低学年だった頃に出ていって、数ヶ月もしないうちに、また帰ってきた。当初は私のことや母の生活態度を理由にして離婚しようとしていたのだが、本当は生活のストレスが原因で家を出たのではなく、会社の女の人とデキているのだとバレてしまったからだった。

 帰ってきた父を、母は受け入れた。それを見た私は、父と母を、両方少しずつ軽蔑した。父のことは嫌いになった。日常的に叩かれていた時は寧ろ気に入られようと一生懸命だったのに、怒鳴りながら家を出ていく後ろ姿と、玄関で涙ながらに許しを請うその薄い唇を見て、呆気なく嫌いになった。

 家にいる時の父はいつも不機嫌だった。暗い部屋でパソコンを眺め、キーボードをばちばちと叩き、気に入らないことがあると怒鳴った。私もそれなりに大きくなっていたから、もう暴力は振るわなかったが。

 帰ってきた父は、色々な妄想にとりつかれた。一番お気に入りだったのは陰謀論で、飛行機雲の写真を撮って、自分のブログにアップしていた(ということを、私は父の話から知り、会話の断片から得た情報で特定して以来、そのブログをずっとヲチっていた)。飛行機雲はアメリカ軍が天気を操作するために空気中に薬品を散布している証拠なのだそうで、わざわざそれを撮影するために購入したデジカメをいつも手放さず、世界に蠢く「陰謀」の断片が見えると、私にその重大さを話して聞かせた。適当に相槌を打ったり茶化したりすると怒鳴るので、私は父の話に驚き、感心し、世界を裏から操作する悪しき組織の存在に恐れ慄かなければならなかった。

 話が逸れてしまったけれど、そういうわけで、私も母も、家にいるのが苦痛でしかたなかったのだ。私は小学校の半ばくらいから遠くの学校に転校していたので、その送り迎えを口実に、母は毎日私をコーチャンフォーへ連れて行ってくれた。

 コーチャンフォーは私にとって、学校から家に帰る間に挟まる、痛みを和らげてくれるクッションのようなものだった。学校も大して好きではなかったから、辛いことと辛いことの間にちょこっとご褒美が入るような感覚だった。

 中学校に上がって仲の良い友人ができて、放課後は彼らの家や外で遊ぶようになっても、相変わらずコーチャンフォーは、私の聖域で、楽園だった。

 

 先日、やっぱりコーチャンフォーへ行った。実家に帰ってきたところですることもなく、日がな一日ごろごろしている私に「どこか行きたいところはないの? 連れて行ってあげるよ」と母が聞いたからだ。「コーチャンフォー」と即答した。

 店内に充満する本の匂いと、視界いっぱいに積まれた本を見て、ようやく「ああ、実家に帰ってきたな」という感じがした。学校より家より、コーチャンフォーは私にとっての「実家」だった。

 久々に訪れたコーチャンフォーは、CDコーナーの1/3ほどが削れていて、代わりに成城石井の輸入食品コーナーが入っていた。お洒落なスパイスや珍しいお酒、カロリーの馬鹿高いチョコレートなんかが売られていて、ちょっと感動してしまった。この夜子が生まれた時代はCDしか売られていなかった。

 余りに感動して、意味もなくハリボーのグミを買った。こんなもの、別にコーチャンフォーじゃなくたって手に入る。東京の私の家なら、徒歩数分でドンキに行けるし、そこには多分、コーチャンフォーのCD売り場の端っこよりもよほど沢山の種類のグミが並んでいるだろう。

 けれど、私はコーチャンフォーのグミがよかったのだ。私にとってコーチャンフォーのグミを買って食べることは、あの頃の、家と学校との間に挟まった、柔らかくて懐かしいしずくを咀嚼するのと同じだ。

 世の中ではこれを「思い出補正」とかなんとか言うんだろうなあ、と思いながら、今私は、ざらざらした砂糖まみれの甘ったるいグミを食べている。