生活を「する」ということ

 休職中、いや休職をするずっと前から「生活をしていない」という感覚があった。ご飯は食べているし睡眠もとっている。生きるのに必要最低限のことは(せざるを得ないので)していたけれど、それはどちらかというと「生きながらえている」という感じで、地に足をつけて「日々の生活を送っている」という実感が無かったのだ。

 実際、最低限度命を繋ぐのに必要なこと以外は、ほとんど何もしていなかった。洗濯物は部屋の隅に山のように積み上げたまま放置していたし、部屋の掃除なんてまったくと言ってよいほどしていなかった。当然自炊なんてするはずもなく、コンビニでその日その時食べる分だけを買ってきて、食べ終わったゴミは買ってきたときのビニール袋に入れて、口を縛って放置していた。

 復職して、毎朝8時前には起きて、シャワーを浴びて着替えて人前に出ていく……という行為を繰り返すうち「生活をするか」という気持ちが湧いてきた。それでとりあえず溜まった洗濯と部屋の掃除をしようと思いたち、机の上をきれいにして、ずっと出しっぱなしにしていたこたつを片付けたところでエネルギーが切れてしまったので、この記事を書いている。流石にたった1日で部屋がきれいになるとは思っていないし、自分がいわゆる「ていねいなくらし」ができるようになるとも思わないけれど、もう少しだけ頑張れると思っていた。せめてあと一回くらいは洗濯機を回したいし、今週いっぱいくらいかけて「床に寝っ転がっても大丈夫な部屋」にしたい。その時はじめて私は「生活ができる」状態になって、本を読んだり映画を見たりすることもできるようになるのだと思う。……たぶん。