コミュニケーションの波のこと

 上手く言えないのだけれど、自分の中に「コミュニケーションのしたさの波」みたいなものがある。それが最高潮のときは新しい交友関係を広げようとSNSに登録したり、友達の紹介で知らない人と積極的に会ったりするのだけれど、それが一番低調な時は誰にも会いたくないしSNSも見たくないし、なんならブログも書きたくない。たとえ誰にも読まれていなかったとしても「そこにいるかもしれない誰か」に向かって文章を書くことは立派なコミュニケーションだからだ。

 厄介なのは「コミュニケーションしたい期」に出会った多くの人が、私のことを社交的で、チャレンジ精神旺盛で、遊びに行くのが大好きな人だと思ってくれることだ。だから、その場限りではなくて次の時にもお誘いがかかる。これは本当にありがたいことだ。私とまた会いたい、交流を持ちたいと思ってもらえているということだから。

 けれどそういうとき、あいにくこっちは「コミュニケーションの波」が最底辺だったりする。会うどころか返事をするのも億劫になって、「ちょっと考えます」の一言を返すのに何時間も、ひどい時は何日もかかったりする。それでも、その人達の中にある「社交的で明るい夜子さんのイメージ」を崩したくなくて、身体を引きずって会いに行ってしまう。

 実際、顔を突き合わせて会話をしてみればなんてこともなくて、その場は楽しく過ごせることが大半なのだけれど、やっぱりそういう時は帰ってきてからどっと疲れる。「楽しい会話の場」で前借りしたエネルギーを補填したくなって、次の日会社を休んだりしてしまう。

 向こうからしてみればコミュニケーションの波なんて知ったことじゃないし、遊びに行って疲れちゃったから休みますなんていうのが通用する世の中でないことは百も承知なのだけれど、自分のコミュニケーションの波に振り回されるのがやめられない。別に、断ったからって嫌われるわけじゃないのに。

 理由の一つはたぶん「コミュニケーションの波が最高潮のときの私」が理想の自分だからなんだろう。せっかく人様の中に構築できた「理想の私」を殺したくなくて、それを維持するために無理を通してしまうのだ。これはどう考えても私のわがままである。

 もういい年齢なんだから、どうにかして改めたいなあ、と思いながら、今日もLINEに来た「飲みに行かない?」という連絡に、テンション高めのスタンプで返してしまう。